大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

鹿児島地方裁判所 昭和32年(ワ)338号 判決

原告 秋山寿夫

被告 国

訴訟代理人 中村盛雄 外二名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し金三五〇万円を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として、

(一)  原告は千穂丸(一九・四九トン)の所有者であるが、これを昭和二八年三月三〇日訴外後門喜一に船具一切を附属して、賃料は一カ月金五万円で毎月末に原告方に持参して支払う、期間は一応右同日から五ケ月間とするが期限後も引続き賃貸するとの約で貸渡していた。

(二)  ところで昭和二八年六月二六日右訴外人が大阪より右船舶に硫安および赤玉ポートワインを積荷して日南市油津港に入港したところ、同日午後六時頃被告国の公務員である油津海上保安部海上保安官は右訴外人を関税法違反容疑で逮捕すると共に右船舶を右訴外人の所有物として差押えた。その後右関税法違反被疑事件は被告国の公務員細島税関支署油津監視署長大蔵事務官伊藤英太郎の手を経てさらに同じく被告国の公務員宮崎地方検察庁日南支部検察官に引継がれたが、同検察官は右船舶の押収を継続し、これが保管を右大蔵事務官伊藤英太郎に委任し、同人はさらにこれを海運業者加藤時造に保管名義で貸与使用させていたところ、昭和二九年九月七日右加藤が右船舶を鹿児島県肝属郡内之浦港に繋留中鹿児島、宮崎両県を襲つた台風第一三号により大破沈没したものである。

他方において訴外後門喜一は前示検察官より昭和二八年七月一八日宮崎地万裁判所日南支部に関税法違反として公訴の提起をされたが昭和三一年一二月一三日同裁判所同支部において無罪の判決を言渡され同判決はその頃確定した。

(三)  しかしながら被告国の公務員による本件船舶の右押収および保管にはつぎのような過失があり、違法である。

(イ)  訴外後門喜一に対する前示無罪判決の理由によると同訴外人には「二九度以南の南西諸島に輸出する意思があつたかどうか認め難いので結局証拠不充分として(中略)主文のとおり判決する」とあるように検察官が同訴外人に右関税法違反容疑の証拠がなく従つて当然無罪となるべき前示事件について、しかも本件船舶を後門喜一所有船舶と誤認して押収した。

(ロ)  仮りに本件船舶の押収が適法であるとしても、被告国の公務員は押収にかかる本件船舶を善良な管理者の注意をもつて保管すべき義務がるにもかかわらず、検察官は本件船舶を自己において直接保管することなく、これが保管方を前示大蔵事務官伊藤英太郎に委任し、同人は検察官からは単に保管のみを委任されたのに、その限度を超え自己の近親者でしかも注意能力のない海運業者加藤時造に儲けさせるために保管各義で貸与使用させた。

(ハ)  しかもその後右大蔵事務官伊藤英太郎は検察官によつて還付決定された本件船舶の引渡を妨害した。すなわち昭和二八年七月二七日頃原告は検察官から本件船舶を還付すると告知され、同月二九日頃伊藤のもとにこれを引取りに赴いたところ、同人は右還付決定のあつたことを知りながら原告が同人の許に到着する寸前に本件船舶を鹿児島県肝属郡内之浦港に向け出港せしめ、その後八月一日には原告が油津の旅館において本件船舶の引渡を待つていることを知りながら、原告に無断で見物客を乗船させて同港の港祭の行事の一つである港内遊覧に供せしめ、八月四日にさらに本件船舶の引渡を請求したところ、同人は「還付は停止となつた」と引渡を拒絶したうえ、その後も引続いて無断で加藤時造に使用させていたのである。

(ニ)  仮りに然らずとするも本件船舶が大破沈没するに至つたのは右加藤が元来魚船であつた本件船舶を原告に無断で、パルプ運搬用に改造してこれに使用し、遂に台風第一三号に耐えることができないまでに船体を著しく損傷弱体化したによるものであるからかゝる加藤にこれを貸与し、このように使用させた大蔵事務官伊藤英太郎の選任監督上の過失は免れない。

(四)  このような被告国の公務員の違法行為がなかつたならば原告において本件船舶を使用収益し、かつ右台風の際にも十全な措置をとつて沈没を免れ得た筈であるのに右被告国の公務員の違法な押収保管行為のために本件船舶は台風第一三号により遂に沈没するに至つたが、原告は沈没のため右船舶の被押収当時の時価相当額である金五〇万円と押収のため押収の日である昭和二八年六月二六日から本訴提起の日である昭和三三年一〇月まで六三カ月の間訴外後門喜一から支払を受くべかりしに受け得なかつた貸船料相当額の損害すなわち一ケ月金五万円の割合による計金三一五万円の損害とを蒙つた。よつて原告は国家賠償法の規定に基き被告に対し右合計金三六五万円のうち金三五〇万円の賠償を求めるため本訴に及んだ。

と述べた。

被告指定代理人は主文と同旨の判決を求め、答弁として、原告主張の請求原因事実中(一)項は否認する、(二)項中被告国の公務員大蔵事務官伊藤英太郎が加藤時造に本件船舶を保管名義で貸与使用せしめたとある点を否認しその余は全部認める、(三)、(四)項は争う。

しかして被告はつぎの理由により原告の本訴請求には応じられない。

(イ)  本件船舶は原告主張の頃油津海上保安部において訴外後門喜一、同森成久、同吉山正人を関税法違反の容疑で緊急逮捕するに際犯罪存否の資料として適法に差押え、その後税関の告発により右事件を引継いだ検察官において昭和二八年七月一八日右関税法違反事件を嫌疑十分であるとして公訴の提起をなした後においても同事件の証拠保全の必要から右押収を継続したものですべて適法である。

また本件船舶の所有権について訴外後門喜一は捜査官に対し終始自己所有の船舶であることを主張して譲らなかつたものであるから、本件船舶の所有権の帰属につき誤認した事実はない。仮りに右所有権の帰属につき誤認した事実があつたとしても関税法違反事件においては密輸出に使用した船舶は犯人の所有または占有するものであれば押収できるから右訴外人が本件船舶を占有していた以上、検察官の右押収には何らの過失なく適法である。

(ロ)  検察官は日頃船舶に接触しかつ船舶の監視できる場所に庁舎を有する細島税関支署油津監視署長大蔵事務官伊藤英太郎に本件船舶の保管を委任した。右大蔵事務官は船舶はその構造上漫然繋留すれば腐蝕破損の虞があるのでこれを不断に使用することによつてこそこれが保管を全うしうるという見解の下にさらにこれを同人の前任地地において一度船舶の保管を委任した際よくその責任を全うしたことのある日南市油律町大節二五の三番地海運業者加藤時造に使用を条件として保管せしめていたものであり、かような保管方法を採ることが被告国の公務員においで直接保管するより以上によく保管を全うするものであるからこの点についても被告国の公務員に何等過失はない。

(ハ)  被告国の公務員において本件船舶の還付決定をなし、またこれが引渡を妨害した事実はなく、さらに原告に本件船舶を還付する旨確約したこともない。

(ニ)  本件船舶の保管者加藤時造において本件船舶の保管にあたり船体を弱めた事実はない。本件船舶は元来相当の老朽船でありその船体は著しく脆弱であつて補修を加えなければ到底保管に耐えなかつたことが明らかであつたもので、加藤がなした改造というのは原告主張のようなものでなく海水浸入を防止する目的のみのためやむをえず「戸立」と称する板一枚を剥離して「あか止め」と称する浸水防止作業をなしたに止まるものであつた。また木材運搬によつても何等船体を弱めたという事実はなく、むしろ右加藤において航行に必要な改修を施し常時航行することによりこれを強めこそすれ決して弱めたことはない。また本件船舶の沈没についても加藤時造には何等の過失もない。加藤は毎年来襲する台風の被害に予め備えて昭和二九年八月一四日日南市油津港から最も安全港といわれる肝属郡内之浦港に回航し、同港に錨五丁および纜六本をもつて繋留していたところ同年九月七日に来襲した台風第一三号により錨を切断された神力丸が本件船舶によりかかつたため沈没するに至り、さらに同月一三日に来襲した台風第一二号(台風第一三号が先に上陸)により流された加通丸(一一〇トン)が再び本件船舶の上を乗り越えたため本件船舶は全く原形を止めないほど大破するに至つたものである。以上のように加藤は本件船舶の被害防止のため最善の注意と努力とを傾注したにもかかわらず遂に沈没するに至つたのは台風という不可抗力によるものであることが明白である、

と述べた。

立証〈省略〉

理由

(一)  本件船舶の所有権者が原告であるか訴外後門喜一であるかについて判断するに、原告の主張に符号する甲第一ないし第三、第五、第一二号証の各記載内容証人楠目東洋士、同宇野秀義の各証言同後門喜一証言の一部(後記注参照)および原告本人尋問の結果は後記証拠に対比して措信できず他にこれを認めるに足る証拠はない。かえつて成立に争のない乙第七ないし第九号証および証人後門喜一の証言(前記措信しない部分を除く)ならびに弁論の全趣旨によると、本件船舶は訴外後門喜一が昭和二七年八月末頃園田時義から代金三五万円で買受けてこれが所有権を取得したこと、同訴外人は金融業鹿児島百貨株式会社に本件船舶を担保に差入れ、本件船舶運営による和益から逐次弁済するとの約定で、金二五万円を借受けこれを右代金の一部に充てたこと、右訴外人は本件船舶を右会社に担保提供したが同会社はかかる融資方法が法に触れることをおそれたのとかつ会社名義による登記手続等が煩瑣になるという理由で当時右会社の専務取締役であつた原告買受名義に登記をなしたこと、その後昭和二八年六月一五日右会社が解散するに際し右会社は本件船舶についての担保の権利を原告に譲渡したことが認められる。(註記証人後門喜一の証言中、右後門は右会社から金を借り担保として原告名義にしておいた本件船舶を、その後三ケ月の返済期限がきても借入金を返済できなかつたので名実ともに原告にやることにして改めて借りた旨の供述部分は成立に争のない乙第七ないし第九号証および同証人の証言により認められるつぎの事実に照して措信できない。すなわち、右後門は本件船舶について修繕費二〇万円余、船具等の設備費一〇万円を支出しているので代金三五万円で買受けさらに三五万円余を投資した本件船舶を僅か三ケ月後に二五万円の債務の弁済に充てしかも一ケ月に右債務額の五分の一にあたる五万円もの高額な賃借料を払つて本件船舶を賃借するが如きことは社会通念に反すること、右後門は改めて原告から賃借したという後において本件船舶を石材運搬用から魚船型に改造していること、右後門は原告等に対する本件船舶代金等の債務弁債資金を作るため本件船舶を大阪の浪速船舶株式会社に売却しようとしたこと、右後門は本件船舶の沈没後の昭和三二年九月七日被告を相手方として日南簡易裁判所に対して本件船舶の所有権侵害を理由に損害賠償請求の和解の申立をしていること、右後門は関税法違反被疑事件で取調べを受けた際取調官に対して終始本件船舶は自己が三五万円で買受けたが右代金中二五万円を借りたため原告名義にしたもののその実権は自己にある旨供述していること、今日においても本件船舶の所有者は名義上原告となつているが右後門としては右二五万円を原告に支払えば自己と原告との間における本件船舶についての問題は解決すると考えていること。)

以上のとおりであるから本件船舶の所有権者は訴外後門喜一であり、原告は弁済期の定めのないこれが譲渡担保権者であつたものというべきである。

したがつて原告が本件船舶の所有者であることを前提とする損害賠償はこれを請求し得ないこと明らかであるが、原告が右認定のとおり譲渡担保権者であるとしても、その権利侵害について損害賠償を請求し得ること勿論であるから、進んで過失の有無、行為の違法性につき判断を加えることとする。

(二)  原告主張の請求原因事実中(二)項については大蔵事務官伊藤英太郎が加藤時造に対して本件船舶を保管名義で貸与使用させたことを除き(その点については後記(三)の(ロ)において判断する。)

当事者間に争がない。

(三)  それで被告国の公務員による本件船舶の押収および保管に過失、これに基く行為の違法性があつたかどうかについて順次判断する。

(イ)  検察官がなした本件船舶の押収について。

成立に争のない乙第一、第七ないし第三四号証、証人後門喜一、同伊藤英太郎、同柏田覚一の各証言を綜合すると、訴外後門喜一に対する関税法違反被告事件の公訴事実の要旨は、「同訴外人は森成久、吉山正人と共謀の上、赤玉ポートワイン、肥料硫安を北緯二九度以南の南西諸島に密輸出しようと企て昭和二八年六月一九日大阪市大正区木津川の大浪橋下流において、右訴外人所有の機帆船干穂丸に赤玉ポートワイン二打入九三箱、硫安一〇貫入四四三袋を税関の免許を受けないで積荷し、同月二一日北緯二九度以南の南西諸島に向け同所を出帆し、もつて密輸出したものである」というものであつたこと、宮崎地方裁判所日南支部は審理の結果昭和二九年四月五日右訴外人等を免許する旨の判決を言渡したのでこれに対し検察官および同訴外人等が控訴した結果昭和三〇年九月二一日福岡高等裁判所宮崎支部は原判決を破棄し原審に差戻す、右訴外人等の控訴を棄却する旨の判決を言渡したこと、差戻後の右地方裁判所同支部は昭和三一年一二月一三日森成久に対して懲役六月、二年間執行猶予、貨物換価代金三三四、六五〇円没収の判決を、右訴外人および吉山正人については犯意の立証なしとして無罪の判決(この点については当事者間に争がない)を各言渡したのでこれに対し森成久のみ控訴したところ控訴審において原判決を破棄し原審に差戻す旨の判決があり、昭和三二年一二月六日免訴の判決が言渡されたこと、右事件において右訴外人等はいずれも犯意を否認しておりかつ逮捕の場所が本土の港である油津港であつたことから犯意の立証が容易にはできなかつたこと、そのため裁判所も有罪無罪を容易に決めかねた困難な事件であつたところ、検察官は捜査を遂げた結果、右訴外人等は本件船舶に前示のような種類数量の物資を積荷して航行していたこと、内地と南西諸島間の往復航行に要する十分な燃料を積載していたこと、訴外後門は初対面の安永諭吉なる者から右物資の輸送を依頼された旨供述していたが所在調査の結果右安永は同訴外人の供述による住所に居住しない身元不詳者であつたこと、共犯者森成久は取調官の隙を見て逃走し日南市吾田町字下平野七四九八番地丸尾進方に一泊の際同人に対して密輸出の事実を告白したこと、森、吉山はともに南西諸島の出身者であつて森は昭和二八年四月に、吉山は昭和二六年一二月に内地に来たものであるのに捜査の当初いずれもその本籍を詐称し、しかも吉山は吉野善徳と偽つていたこと、森、吉山はともに定職をもたずいずれも故郷における不動産を処分して得た三四〇万円を投じて前示物資を買入れ運送していたもので本件物資の運送により一獲千金を夢見ていたものと思料されたこと、森は後門に対し南西諸島に赤玉ポートワインや醤油を輸送すれば儲る話をして暗に密輸の意思のあることをほのめかしていたもので後門も森の密輸出の意思のあることに疑念を抱きながらこれを諒承していたことが推認されたこと、同人等は硫安は屋久島、赤玉ポートワインは鹿児島市の森良彦方又は屋久島においてそれぞれ販売するする旨供述していたが屋久島における同物資の消費状況や販売価格、森良彦方における赤玉ポートワインの販売状況等を調査したところ、同人等の販売価格によつては採算がとれず、また右数量の物資は右いずれの個所においても容易に売捌ける状況ではなかつたことなどの諸事実が明らかとなり、検察官はこれらの事実を綜合すれば同人等の密輸の意思を十分肯認できると判断したので公訴の提起をなしたものであることが認められるし、また客観的に観察しても以上のような諸事実の下では特別の事情のない限り右同人等の密輸の意思があつたものと推認するのが当然で検察官が当然無罪となるべき事件についてことさらに不充分な証拠により漫然公訴の提起をなしたものとは到底考えられない。

しかして右事件において訴外後門等が右認定のように何等合理性のない理由を根拠として犯意を否認していればそれだけ将来公判において本件船舶の検証鑑定等の必要が生じ得る蓋然性が強かつたとみて差支えないから結果的には三年有余の審理の後に右訴外後門が無罪の判決を言渡されたけれども、公訴を維持し裁判所に法の正当なる適用を請求することを使命とする検察官としては裁判の適正と万全を期するため本件船舶を押収しこれを持続したことはまことに正当で適切な措置というべく、右押収につき過失ありとすることはできないし、また訴外後門等の占有にかる本件船舶を押収し得ること勿論であるが前段認定のとおり本件船舶の所有者は訴外後門であり同訴外人は終始検察官に対しその旨供述していたのであるから検察官において同訴外人を所有権者とみて本件船舶を押収したことに過誤はない。

以上のとおりであるから原告のこの点に関する主張は全く理由がない。

(ロ)  まず被告国の公務員である大蔵事務官伊藤英太郎が本件船舶を訴外加藤時造に対して保管名義で貸与使用させていたかどうかについて判断するにこの点に関する原告主張に符合する原告本人尋問の結果は後記証拠に対比して措信できず他にこれを認めるに足る証拠はない。かえつて成立に争のない乙第一ないし第四号証、証人伊藤英太郎の証言ならびに弁論の全趣旨によると本件船舶は前示関税法違反被疑事件の証拠物として同事件とともに関税法第一三六条により油津海上保安部から前示税関支署油津監視署に引継がれたので同署長大蔵事務官伊藤英太郎は同法第一三三条第一項により右加藤から船舶一時使用許可申請書(乙第二号証)、誓約書(乙第三号証)、預置物件受領証(乙第四号証)等を徴したうえ同人に使用を条件として保管を委任したものであることが認められる。

そこでつぎに検察官および右大蔵事務官のなした本件船舶のかゝる保管方法に過失があり違法のものであつたかどうかについて判断する。

刑事訴訟法第一二一条第一項、刑事訴訟法規則第九八条および関税法第一三三条第一項等の諸規定から明らかなように法は押収物件の種類、性質、態称、数量等に応じて具体的に相当と認められる保管方法を構ずることを期待していると解される、ところで船舶は普通の押収品と異なり、滅失、毀損の虞が大きくかつ航海等による移動性が激しいので保管には特に注意をなして滅失毀損を最少限度にくいとめると同時に将来鑑定、検証等の必要が生じた場合には何時でも直ちにこれに応じ得るように万全の措置を講じておく必要があるものと考えられるがそのためには日頃船舶の取扱をなすことがない検察官、大蔵事務官においてこれを保管するよりも信用のおける確実な船舶取扱の専門家に保管を委任する方がよりよく保管責任を全うする所以であると解すべきであるところ、証人柏田覚一、同伊藤英太郎の証言によれば船舶の取扱には検察庁よりも税関の方がよく慣れていること、検察庁は海岸から相当離れた場所に在るが税関は海岸にあり港内の船舶の状況を容易に監視できること、職務の性質上検察官よりも税関職員の方が保管適確者をよく知つていること、以前から検察官は税関職員に船舶の保管を委任してきたことなどめ理由で本件船舶の保管も右伊藤英太郎に委任したことが認められ、

また成立に争のない乙第二、三号証および証人伊藤英太郎、同加藤時造の証言によれば右伊藤は船舶はその構造上漫然繋留すれば腐蝕毀損の度合が大きくこれを不断に使用することによつてこそこれが保管を全うしうるという考えの下に第三者に使用を条件として保管を委任することとしたこと、その保管者としては伊藤が隣人として親しく交際している加藤時造が親子二代の海運業者で船舶の取扱についての知識経験が豊富であること、伊藤の前任地において一度加藤に対して船舶の保管を委任したことがあつたが加藤はよくその保管を全うしたことがあり責任感が強く信用できる人であると考えたこと、加藤は油津を中心に内之浦、屋久島等近距離の海上運送に当つていたので公判において本件船舶が必要となれば何時でも直ちに帰港してこれに応じ得られる見込があつたことなどの諸事情を考慮した結果右加藤から船舶一時使用評可申請書(乙第二号証)誓約書(乙第三号証)領置物件受領証(乙第四号証)を徴して使用を条件として同人に保管を委任したことが認められる。

以上の事実によれば検察官および大蔵事務官において本件船舶の保管について採つた右措置には何らの過失もなく前示関係法条の趣旨に則つた極めて相当なものであり何等違法の点はない。従つてこの点に関する原告の主張は理由がない。

(ハ)  大蔵事務官伊藤英太郎が一旦還付決定された本件船舶の引渡を妨害したかどうかについて判断するにこの点に関する原告の主張に符合する証人後門喜一の証言および原告本人尋問の結果はこれを措信し得ないし他にこれを認めるに足る証拠はない。かえつて証人柏田覚一の証言によれば原告主張の頃検察官副検事柏田覚一は本件船舶を一応仮還付のうえこれを原告に保管させようとして還付指揮書を発行したことがあつたが検事正に報告した結果原告以外の適当な人に保管させた方がよい旨の指示があつたので直ちに右仮還付決定を取消したことが認められるので還付決定のあつたことを前提とする原告の主張は理由がない。

(ニ)  本件船舶が沈没するに至つたことについて加藤時造に原告主張のような過失があり、ひいて右大蔵事務官伊藤英太郎に同人に対する選任監督上の過失があつたかどうかについて判断するに、この点に関する原告の主張に符合する証人後門喜一の証言および原告本人尋問の結果は後記証拠に対比して措信できず他にこれを認めるに足る証拠はない。かえつて証人加藤時造の証言によつて成立の認められる乙第三七号証、証人伊藤英太郎、同加藤時造の証言ならびに弁論の全趣旨によれば本件船舶は船令二〇年を超える木造の老朽船であつたこと、押収される以前石材運送に供したため船体は相当損傷していたこと、押収当時すでに艫舵および船底は朽腐しかけており浸水が甚だしく船底には「あか」が溜りそのままでは使用できない状態にあつたこと、しかもそのまま繋船しておけば早急に朽腐する虞れがありこれが保管方法は必要な修理を施しながら継続して使用することが最良の方策であつたこと、加藤は本件船舶の引渡を受けた後右保管の目的を達するために油津において上架して「あか」を出して修理のうえ船底塗装をなしたこと、昭和二九年三月頃伊藤の許可を得て返還の際は原状回復するという条件でパルプ積込ができるように船倉に四分ボルトでとめて取付けてあつた四つの板仕切りのうちの一つを取外したこと、台風により沈没するまで一ケ月に三、四回位内之浦と油津間のパルプ運搬に使用していたこと、台風第一三号来襲の際は加藤は油津港よりも内之浦港が安全だと考えて予め内之浦港に回航させ同港において錨五丁、纜六本をもつて繋船させて万全を期させていたが同台風は油津港において一〇隻以上、内之浦港においては大型船二隻を含む一〇隻内外の船舶が沈没するほどの猛烈なものであり同台風により錨を切断された神力丸が本件船舶に寄りかかつたため遂に本件船舶も沈没するに至つたことが認められる。

右認定のとおり加藤のなした改造といつても右のような極めて簡単なものであつたからこれをもつて船体を弱化させたのとは到底考えられず、また右認定のような状態にあつた船舶を右方法によりパルプ運送に使用したからといつて漫然繋船し或は魚船ないし魚類運搬船として使用するよりも特に損傷の度を早めたものとは認められないし、さらに本件船舶の沈没は右認定のようにいわば台風にまる不可抗力によるものと認められる。

よつて本件船舶の沈没が加藤の保管行為の過失によるものとは認められないので加藤の過失を前提とする原告の主張は理由がない。

以上のとおり原告国の公務員のなした本件船舶の押収、保管行為は何等の過失もなく、また違法のものとは認められないので原告の本訴請求は爾余の点を判断するまでもなく失当として棄却すべきである。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 淵上寿 小川正澄 池田久次)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例